本当のヒーロー杉原千畝先生
昨日は連休明けと言う事で仕事が忙しく、バタンキュ~で寝てしまいました。(_ _).。o○
忙しいのは嫌いなのですが、忙しいと言う事は本当に有難い事です。
今日は、岐阜県八百津町の社会福祉協議会の方から、
福祉住環境コーディネートの相談依頼があり、事務所から車で片道45分程の町ですが
天気が良かったおかげで、朝からドライブ気分で八百津町に向かいました。
福祉住環境コーディネートとは、介護を必要とするお年寄りの方などが安心して
在宅生活が出来るように、その方が生活する自宅の玄関・トイレ・浴室・廊下などの
どの場所・位置に手摺や床段差の解消又は、適正な福祉用具の選択のアドバイスを
機能的・デザイン的・金銭的にコーディネートする事です。
予定としては12時頃までかかると思っていたのですが、11時半に終わったので
前から一度行きたいと思っていた場所に昼休みを利用して行って来ました。
その場所とは、八百津町の人道の丘という公園の中にある杉原千畝記念館です。
「杉原千畝さんは、1940年にポーランドからナチス・ドイツの迫害を逃れてきた大勢の
ユダヤ人に日本政府に叛いてまでも、日本への通過ビザを発給し6000人もの人を
ナチス・ドイツから救った人道博愛精神第一に生きた正義の人」
という事は、TVや漫画などで知っていたのですが、
お恥ずかしいことに、生誕の地が岐阜県八百津町とは知りませんでした。^^;
ある人のブログで、杉原千畝記念館には行くだけの価値があり、人生観が変わる!
とも書いてあったのを読んだ事もあったので行ってみましたが、本当に感動しました。
建物は僕好みのデザインで、内部は撮影禁止でしたので写真はありませんが、
内部も物凄くすばらしい創りでした。
入館料は大人\300です。
正直安い、\300でこの感動は受付の人にお礼を言いたくなりました。(本当)
記念館の中には、千畝さんの直筆の手紙や肉声が聞けるコーナー、
ビザを発給した当時のカウナスの日本領事館執務室が再現されてあり、
坂本龍馬先生くらい昔の英雄が残した手紙だと見ても分からなかったりするのですが、
千畝さんは、1986年までは生きていた方です。(僕が14歳の時に亡くなってます。)
つまり千畝さんの残した直筆の手紙は今と変わらない文字なので、
千畝さんがビザ発給の決断にいたるまでの気持ちが、物凄くリアルに伝わって来ました。
記念館には沢山の感動がありましたが、
一番の感動は僕が前から知りたかった疑問の答えが肉声で聞けたことです。
僕の疑問とは、
「千畝さんは限られた時間で、助けを求めて来た全てのユダヤ人に
日本の通過ビザを発給することが出来たのか?」という疑問でした。
まさか肉声で、その答えを聞くことが出来るとは思いもしてなかったです。
これは、記念館の近くにある「人間愛」の心が響くようにと造られたモニュメントです。
鐘には、それぞれ「心」「勇気」「愛」の文字が刻まれていて、
僕も鳴らしてみましたが、凄くいい音が響きました。
杉原千畝さんはこの町で生まれたわけです。
八百津町で生まれ、その後色々な場所で生活をされたみたいです。
驚いた事は、なんと小学校は中津川市の小学校を卒業されておりました。
中津川市は僕の出身地でもあります。今思う事は、自分も千畝さんのように
自国の政府とナチス・ドイツ(つまりヒトラー(((((((・・;)コワイ-)に逆らっても
自分が信じた考えを貫き通す強い精神の持ち主でありたいと思うわけです。
・・・本当にそう思うわけですが、もしもその時、自分が千畝さんの立場だったら?(^_^;)
この記事を読まれた方で、もし八百津町に行く事があったら記念館に行ってみて下さい。
きっと僕の体験した気持ち、分かると思いますよ。
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